『季刊教育法』No.222(エイデル研究所発行)に、山下晃一先生(神戸大学教授)が、「現代の学校と教員をめぐる自律性と『秩序』問題ー奈良教育大学附属小学校問題の予備的考察ー」と題して論文を投稿されています。
論文は、マスコミ記事や当会ホームページ資料などから、事件の報じられ方、校長の見解、学校法人の対応を概説された後、以下のことをご指摘されています。本文から要約して抜粋させていただきます。
〇権力作動の今日的様式
直接的な思想統制や物理的暴力的な支配というよりは、社会的な評価、端的には資金問題・財政問題を根底にもつ統制となっている。
そこに端を発する不安に駆られた各アクターの「善意」に基づく対応が調達され、その積み重ねが一定の動きを作ってしまうという構図も浮かび上がってくる。
他方、直接に権力から「攻撃」を受けているというよりは(とはいえ、そういう情念を感じる場面もあるが)、こうした権力作動の様式を前提としたときの向き合い方について考えていく必要もある。
〇「透明化」された教員
奈教附小の教員自身の見解や弁明や反論などが、報告書群の中で一切、独立した形としては記載されていない。
個々の状況や場面にかんする教員自身の弁明権・解釈権を適切に保障したことが十分に理解できるよう配慮・明記しておくえきだったのではないか。
当の教員による弁明や反論の内容そのものはおろか、それらが存在したのか否か自体や、弁明などの機会が適切に保障されたのか否か等についても、対社会的には明示されていない。そうした声がまったく見えないまま、一方的に出向対象となった感がある。
もっと時間をかけた丁寧な対話が必要であったと思われる。こうした点への配慮を無意識あるいは意図的に欠いたため、教員らの”尊厳”を著しく傷つけたおそれがある。
〇「秩序」形成志向による教育者相互の関係性
たしかに本事案は、これほどまで、児童生徒や保護者・教員に疲弊、萎縮、混乱、尊厳喪失等をもたらす対応を受けるべきものではないと思われる。
市政の教育活動に日々従事する層からすれば、教育活動に関する諸規定”切り下げる方向”で解釈解釈することに関しては厳しい反応の予想される。