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市民集会参加者の感想①(2024.4.2)

執筆者の写真: まほろばまほろば

3月31日の奈良教育大附属小学校の教育を守る市民集会に参加いただいた方から、感想をたくさん寄せていただいています。


その一部を紹介させていただきたいと思います。


今回は、近藤國武さんからいただいた文章です。


緊急事態日記 2024 3月              近藤國武


今 奈良教育大学附属小学校で何がおこっているか


「先生、最近この学校何かおかしいで。」

 「先生は何かまちがったことを教えていたの。」

 「先生がいなくなったら、なにかおそろしいことがはじまるのかな。」


 「奈良教育大付属小学校の教育を守る市民集会」で先生や保護者から出されたこどもたちの言葉。


 奈良教附属の教育を「不適切教育!」と決めつけることは、そこで育ってきたこどもたちを否定することに他ならない。こどもたちはそのことに気が付いていて、とまどいを隠せない。これは「いじめ」だ。奈良教育大学の学長、県教委から派遣されてきた校長、奈良教育大学に派遣されている文科省の官僚(副学長と理事だそうだ)、彼らはよってたかってこどもたちの心を傷つけ「いじめ」に加担しているのだ。

 

 しかし、奈良教附属で育ったこどもたちは、負けてはいない。


「学校がかわるのはいやです。」

「先生たちは何もまちがったことはしていない。」

附属小学校があったからこそ、いまのぼくがあるんや。」

「ぼくたちの先生をかえないで。」


 たくさんのこどもたちが自分で考え、校長室に抗議に行ったという。


「子供たちにはがまんしてもらう。先生が代わっても、1・2か月もたったら慣れるだろう。」


こどもたちの切実な声に対する校長の答えがこれだ。


「校長先生はまともに答えてくれなかった。そのことを集会でちゃんと言ってきて。」

と、抗議に行ったこどもは、お母さんに頼んだそうだ。


さすが奈良教附属のこどもたち、しっかり育っているじゃないか、とうれしく、誇らしくなった。それにひきかえ・・・。

 

 たくさんのこどもたちや保護者・教職員の切実な声を踏みにじり、大学当局は不当人事を発表した。その内容たるや、40名の教師のうち26名がいなくなるというひどいもの。しかも、転入数が足りず4名の欠員で4月をスタートするという。


これまで、附小の教育の中心を担ってきた教員が出向させられる。管理職は3人とも交代、校長はともかく、後の二人はずっと学校を支えてきた大切な存在だった。それに加えて4人もの欠員が生じると、これまで同様のいとなみは難しくなることは明らかだ。不当人事によって学校運営が立ち行かなるという心配が、現実のものとなっている。

次のことが発表された。


・3〜4年は持ち上がりなしでクラス替え。5〜6年の持ち上がりができないクラスが生じる。

・ヒロシマ修学旅行、体育大会、 和歌山旅行、全校美術展、全校音楽会、 全校集会など その質や規模について継続性が保てなくなる可能性がある。

・通級や専科指導は、今後の見通しがたちにくい。

 

通級学級に通っていたこどもの保護者は、何回も校長や大学・教育委員会に掛け合ったという。そこで聞かされた答えは、


「通級の教員は予算がないから配置できない。」


 奈良教附属の教育内容を敵視し、教員の労働条件を無視して不当な調査を繰り返した挙句(夜中まで書類作成に追われ、病休の教員も出ている)、本来の仕事である教育条件整備を放棄している当局。


「不適切」なのはどちらだ。


 奈良教附属のすばらしい取り組みに、あいぼう活動がある。たてわりで様々なとりくみを行うが、大切な活動に、ヒロシマ修学旅行での学びをあいぼうに伝えていくというものがある。

 

 5月にヒロシマに行きました。信じたくない、ショックというのが想像以上に大きかったです。被爆者の方のお話は、ここは日本なの?ということが多すぎて。現実味がありませんでした。それは爆風のいりょくです。生きている人までが飛ばされているのを知って(こわすぎる)と思いました。原爆ドームを見るとより原爆のいりょくを思い知らされました。建物は残っていても中にいる人は死んでしまったということも知って(人って弱い)と思った。でもその建物を七十一年後に見ることができたのは「戦争の恐怖を忘れたくない。」「風化させたくない」という人たちの願いが伝わってくるようでした。行ってみないとわからないこと、願いを持つことができました。知りたかったのは事実だったけどあまりにもショックでした。 


 奈良に帰ってきてたてわりグループに伝える事などをまとめました。あれも伝えたい、これも伝えたいと考えていくうちに(平和なのかな?)と思うようになりました。

戦争がなければ平和と言えるか?は違うんじゃないかなと考えました。戦争は一度始まると終わるのにとても時間がかかってその間に尊い命が奪われるということを知りました。戦争ほど辛いことはないと思ったけど「平和になってほしい」は簡単に言って達成できる事じゃないと思ったし、戦争体験者の「平和になってほしい」の一言はすごく重い言葉だと思いました。簡単にはそうならないけど自分の心の中では戦争は絶対いけないと思い続けなければいけないなと思いました。伝え続けないといけないと思いました。

「みんなのねがいでつくる学校」 クリエイツかもがわより

 

 こどもたちは、“あいぼう”に伝えることを考えるうちに、自分を見つめなおし、自分に何ができるかという行動をも考えている。これが奈良教附属の教育だ。教師に教えられるのではなく、こどもたちが実際に見て、聞いて、自分で気付く。


 集会参加の保護者から、こどもがウクライナやガザのことに人一倍関心を持っているという発言があった。ヒロシマで6年生が学んできたことは、しっかり“あいぼうたち”に伝わっている。今年の5年生のこどもたちはずっと“あいぼう”の6年生から話を聞いてきた。今度は自分が伝える番。6年生は集大成の1年、と張り切っていたところに、担任が交代。ヒロシマ修学旅行も「継続性が保てない」という。


 担任が異動させられたこどもたちは、春休みもよく学校へ行って、先生といっしょに時間をすごすしているのだそうだ。こどもたちも、教師も「不安な春休みをすごしている。」という。

 

 こんなことを許すわけにはいかない。テキは権力、学校の中だけではたたかいきれない。「奈良教育大付属小学校の教育を守る市民集会」の参加は412人、会場は人の多さだけではなく、参加者の想いが集まり、熱気にあふれていた。


 「奈良教育大附属の教育を守る会」も正式に発足し、新たな活動も始まった。会費で運営し、事務局もおかれるという。だれでも参加できる。心ある人はぜひ入会して、いっしょに奈良教附属小学校を応援していってほしい。 ( nara-edu-net@ae.auone-net.jp

 

 3月に沖縄に行ってきた。石垣島や辺野古で感じたことは、権力とのたたかいは容易ではないということ。しかし、島民は不屈のたたかいを繰り広げている。


 辺野古のゲート前にあった看板の言葉を奈良教附属の仲間に送ろう。


「勝つ方法は あきらめないこと」


 権力を振りかざしてくるテキに対して、ぼくたちは、いっしょに学んでいくことでたたかうのだ。仲間と共に学び続けていくことが続くかぎり、奈良教の教育の灯が絶えることはないだろう。


 ぼくたちも決してあきらめず、応援し続けていきたい。

 
 

​奈良教育大附属小を守る会

ーみんなのねがいでつくる学校応援団ー

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