教育は誰のものか?(2025.7.2)
- まほろば
- 4 日前
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7月24日に予定している「附小裁判第6回弁論報告集会」で講師を務めてくださる西村徹さん(奈良県教職員組合書記長)より、お話いただく内容について手記をお寄せいただきました。
朝ドラについてもふれながら、今回の奈良教育大附属小事件の意味について、述べておられます。
ぜひ、お読みいただき、集会へお越しください。
教育は誰のものか
西村徹(奈教組書記長)
脚本家 中園ミホが朝ドラに登場させた二人の先生は、実は奈良教育大学附属小学校につながっている。
あんぱん(2025年前期)
ヒロインのぶが入学した女子師範学校の黒井雪子(考えてみたらすごい名前つけたな!)先生の授業での言葉
「家族のために。愚かしい!皆さんの学費は官費です。御国のために尽くす覚悟がない者は、去りなさい。」
花子とアン(2014年前期)
ヒロイン花子が学んだ女学校の校長、ブラックバーン先生の卒業式での祝辞
「今から何十年後かにあなたがたがこの学校生活を思い出して、あの時代が一番幸せだった、楽しかったと心の底から感じるのなら私はこの学校の教育が失敗だったと言わなければなりません。
人生は進歩です。若い時代は準備の時であり、最上のものは過去にあるのではなく、将来にあります。
旅路の最後まで、希望と理想を持ち続け、進んでいくものでありますように。」
一人の脚本家がこれほど対照的な教育者を朝ドラに登場させたのは驚き。
黒井先生の教育観は、
「国家の役に立つ人間を生産するのが教師の任務」
というもの。そして当時「どんな人間が国家の役に立つのか」は「教育勅語」によって明確に示されていた。
彼女の教育観に、教え子一人一人の「人生」はない。「一旦緩急あれば」お国のために尽くして「死ぬ」覚悟のできている人間が国家の役に立つ人間なのだから。「死ね」と言われて「喜んで」と言える人間に「自分の人生」はあってはならない。「教育勅語」的に「お国のために尽くす」とはそういうことであり、そういう「臣民」を作り上げる技術を身につけるのが「師範学校」に学ぶ「あんぱん」ヒロインであるのぶ達の義務になる。なぜならそのために彼女らはそのために官費で学ばせてもらっているのだから。
そういう教育に染まって教師となり、「教え子を戦場に送」って1945年8月15日を迎えることになるのぶ。脚本家中園ミホは、朝ドラヒロインにずいぶん過酷な運命を背負わせるねえ。
これ「ネタバレ」ではありません。歴史上の事実です。
対する花子の恩師、ブラックバーン校長彼女の教育観は、
「教え子が希望と理想を追求して、悔いなく自分の人生を生ききれるだけの基礎を築くのが教師の仕事。」
というもの。あくまで個人の人生はその人固有のもの、教育はそれに奉仕するものであらねばならず、生き方そのものを強制するものではない。と彼女は考えている。
だから、「学生時代が人生の頂点」であってはならないのです。彼女にとって教育は常に未来に開かれていなければならない。
脚本家中園ミホは、10年越しで、朝ドラの脚本の中でまったく対照的なそして典型的な二つの教育観、教師像を描いて見せたわけです。
これは結構すごいことだと思います。
1945年8月15日の悲惨な失敗を教訓に、日本は黒井先生型教育から、ブラックバーン校長型教育に舵を切りました。その出発点が1947年3月31日に公布された教育基本法です。それに伴い、のぶ達が学んだ師範学校は教員養成単科大学としてのこったところは「学芸大学」という名前になりました。この「学芸」とは「リベラルアーツ」の訳語。
しかし時代が下るにつれ、黒井先生型教育は息を吹き返します。2006年の「教育基本法改悪」はその流れにあります。とくに、「官費」が投入されている国立教員養成大学ではその傾向が強い。
そこでは戦前戦中の黒井先生たちが「絶対の規範」とした教育勅語に変わるものとして存在感を強めたのが文部科学省作成の「学習指導要領」です。戦前の師範学校の流れをくむ国立教員養成大学は、戦後「学芸大学」として「リベラルアーツ教育による教員養成」を目指して再出発したはずなのに、今ではそこで行われている教員養成教育の中で、学習指導要領のみならず、その「解説」さえ絶対化されつつあり、それに抗い子どもたちの実態を踏まえた自主的な教育活動を行ってきた附属小学校の先生たちに、「逸脱」「法令違反」というレッテルを貼って、処分を下し、強制的懲罰的な出向を命じるまでになってしまいました。
これの行き着く先は、「あんぱん」で黒井雪子先生がヒロインのぶ達に言い放った
「皆さんの学費は官費です。御国のために尽くす覚悟がない者は、去りなさい」
でしょう。
「お国のために尽くす人材を育成する学校、特に小・中学校」
「その人材を育成する仕事をする教員は、当然お国のために尽くす覚悟が求められる。その覚悟を養成する場としての教員養成大学」
という教育観、教員養成観が国家権力によって全国の教員養成大学に押しつけられつつある中で起こった事件。それが「奈良教育大学附属小学校事件」だと私は考えています。
