『前衛』2025年2月号所載の論文にコメントします。山本正夫氏の論考(166-170頁)は同じ実践家として、本田伊克氏(教育課程論、教科研副委員長)の論考(150-165頁)は教育学研究者として、ともに、奈教附小のこの事案の本質を的確に考察し、巧妙な権力的介入による、附小実践つぶしを図っていることの実態を暴いておられます。
(ア)山本論文では、奈教大調査委の調査結果から、「教育課程の実施」そのものではなく、附小の先生たちの教育的「指導」の調査を行ったのではないか、と指摘しています。
つまり、踏み込んでいえば、その調査は教育課程の構造や編成原理をふまえつつその実態を検証するものであるよりは、附小の先生たちの調査、つまり教員調査になっていた。しかも、「法令違反」なる言辞でこれを「不適切」と断じて、にわかづくりの「出向」方針を持ち出して当該の先生たちを順に同校から追い出す暴挙に出た。こういう構図が浮かび上がります。
さらに山本論文はヴィゴツキーの学説を援用しつつ奈教大のこの調査では、「子どもの教育学的発達」という視点が欠落していた、と指摘しています。これはすばらしい論点です。
同論文によれば、こういう構図が見えてきます。
奈教附小問題とは、子どもたちの「教育学的発達」をゆたかにつくりだそうと日々実践を重ねてきた附小の実践に対して、大学当局が奈良県教委の外圧に屈して、しかも同調査委は「教育学的発達」の視点を欠落させたまま、ただ学習指導要領実施の「適不適」を持ち出しながら実は教員評価をやって「おおいに問題あり」と評価し、先生たちを同校から追い出す方策に走り、そうすることで概算要求などの肯定的評価を文科省から得ようと画策したのではないか。
(イ)これらのことを緻密な資料精査と論理的な分析で学問的な検証を通して明確にしたのが、本田論文です。同論文も、奈教附小の教育を「子ども自身の内なる成長・発達への希求にせまり、育てる教育課程づくり」と特徴づけています。
ここでは個々の引用コメントは避けますが、まさに同大調査結果のいう《「不適切事項」の根拠の不適切性》を教育学理論をつらぬいて明確に述べている点で、これまでの同校の「教育課程問題」を論じてきた中では秀逸の論考となっています。
願わくば、同論文156頁言及されている「道徳」に関して、中教審も、学習指導要領の解説書も力説する「考え、議論する道徳」にせまる実践がみられること、形態は「全校集会」であってもその教育的内実は、平和をはじめとして様々な生活上のテーマをめぐって子どもたちによる、子どもたちの考えを表明しあい議論する、子どもたちのための活動(学び)時間になっていることも、そこでは指摘していただきたかったと思います。
(ウ)上記2論文は今後の口頭弁論にも一定の示唆を与えるものとなっています。
裁判では、第二回口頭弁論から察するに、被告側は今回の「出向」命令の妥当性を「教育課程調査の結果」を基にして正当化する論理を展開するでしょう。
しかし、これが労働契約法14条にいう「業務上の必要」からは大きく逸脱していること、しかも、同「調査結果」は附小の先生たちが日々大切にして努力を続けてきた「子どもの内なる成長・発達のねがい」に応答する教育・授業という見地をまったく見ようとしない機械的な「調査」結果でありこれを根拠に「業務上の必要」から「出向」させたことは明らかに「出向」権の濫用であること。ここが重要な反論ポイントになると思います。
投稿者 折出健二(あいち民研/ 「勝たせる会・あいち」) 2025.1.7.