「教育新聞」2023.12.31「盛山文科相に聞く㊤」より抜粋
ただ、追加、追加でどんどん増えていくだけなら、限られた授業の時間で全部教えるのは無理だろう。そうすると、今まで丁寧にやっていたものを軽くしたり、場合によってはなくしたりすることも必要となる。また、文科省はベースとなるものを学習指導要領としてお示ししているだけだ。実際には学校の先生や教育委員会の判断になる。
記事一部抜粋
2023年12月21日に教育新聞のインタビューに応じた盛山正仁文科相は学校現場でICTを活用する必要性に触れつつ、自身の子ども時代や子育ての経験などに基づき、「リアルな体験が大事だ」と強調した。増加を続ける不登校の児童生徒に対する支援策や、少子化が進む中で教育予算を確保することの難しさなど、幅広いテーマの質問に答えた。2回にわたるインタビュー詳報の前半では、盛山文科相の教育観や学習指導要領を巡るやりとりを紹介する。
「子ども同士のやりとりは社会で生きるトレーニング」
――これからの小中学校や高校の教育において、大切なことは何だと考えるか。
子どもたちに関心を持って学んでいってもらうことではないか。私自身もそうだったが、「あれをやれ」「これをやれ」と言われるのは面白くない。でも、自分で「これ、面白いな」「これ、何でなんだろう」と思うと、昔はインターネットがなかったから、自分で図鑑を見たり、人に聞いたりした。自分で興味や好奇心を持って学んでいくところが大事なポイントだ。小学校や中学校の先生は、子どもを見ながら好奇心を伸ばすとか、興味を持ってもらうとか、そういうふうにして育てていっていただくことが大事ではないか。
自分の子どもを見ていて感じるのは、今は自然に触れる環境がないことだ。長女が小学生だった30年以上前、東京23区内の共同住宅に住んでいた。周りの道路は全部舗装されており、外で遊べる環境ではなくなっていた。夏休みに長野県へ旅行に行った時、宿の外へ出てアリを見つけた長女が「虫がいる」と言ったことに、すごくショックを受けた。
私は大阪市内で育ったが、子どもの頃には原っぱやどぶ川、池があり、虫も捕まえることができた。ザリガニやおたまじゃくしを取りに行ったこともある。しかし、長女が子どもの頃に共同住宅で見た虫はゴキブリぐらいだ。いかに自然に触れなくなっているのか、子ども同士で自由に遊ぶことがなくなっているのかと痛感した。
私が子どもの頃は、暗くなるまで学校の校庭で遊んでいた。「いい加減に帰れ」と先生に言われることもあれば、ご近所のお母さんが「そろそろ帰りなさい」と言うこともあった。それだけ外で遊んでいたので、子どものコミュニティーもあった。子ども同士でいろいろなやりとりをすることが社会で生きていくためのトレーニングにもなる。
平和の大切さは教えた方がいい
――中教審で次期学習指導要領に向けた議論が少しずつ始まっている。国が定めるカリキュラムの望ましい在り方について、どう考えるか。
時代が進み、昔は考えていなかったようなことが(教育課題として)追加されているのは事実だ。私はバリアフリー社会を進めるために、駅のエレベーターやエスカレーターの問題に取り組んできたが、その時に併せて「心のバリアフリーが大事」と言ってきた。エレベーターやエスカレーターなどハード面の施設整備はもちろん頑張らなければならないが、心のバリアフリーがもっと大事になる。施設が整備されていないところでは、相手の立場を慮って「何かお手伝いしましょうか」と声を掛けることが自然にできないといけない。知的障害の人も含め、障害に対しての理解をもっと広めてほしいという声もある。
国会の質疑では、平和が大切だとして「『はだしのゲン』を読んだことがあるか」と聞かれた。そういうことも教えた方がいい。時代によって追加されるものはあり、そういうものも含めて学習指導要領を見直していく。
ただ、追加、追加でどんどん増えていくだけなら、限られた授業の時間で全部教えるのは無理だろう。そうすると、今まで丁寧にやっていたものを軽くしたり、場合によってはなくしたりすることも必要となる。また、文科省はベースとなるものを学習指導要領としてお示ししているだけだ。実際には学校の先生や教育委員会の判断になる。
一般の公立学校も、学習指導要領の改定に向けてその問題点や課題、改善方法を日々の実践から見出し次の改訂に生かしていくことにも責務を負っていると見るべきです。そうでなければ、どうやって指導要領を「改定」するのでしょうか?そういう意味で、日本の学校には「研究授業」という独特な取り組みがあります。そこで様々な授業提案が行われ教材開発が行われ、その成果をボトムアップしていく仕組みがあると見るべきです。付属小学校は特にその機能が大きく期待されているのではないでしょうか?また、教科書も現場での研究成果を多く取り入れていることは周知の事実です。