宮沢賢治の『農民芸術概論綱要』のなかに「永久の未完成 これ完成である」という一文があることを教えてもらいました。教育課程づくりも《永久に未完成》であり続けられたなら、その在りようとしては《完成》と言えるのではないでしょうか。
そもそも、いまの学習指導要領の内容のすべてを指定された時数・授業方法ですすめていくなんて、無理です。そんなことをしたら、「未履修」ではなく、「未理解」「未修得」が大勢生まれてしまうでしょう。文科省が全国の教員不足の実態調査をするそうですが、教職の魅力を掘り起し、労働条件を抜本的に改善しなければならないときに、いまさらですか?!
教員の数が減っているだけでなく、《教職》という、子どもたちと保護者とわたしたちとで長年かけてつみ上げてきた魅力ある仕事(専門職性)がなくなりつつあるように思えてなりません。
学びは、生涯かけて行うものなにで、ゴールはないと思います。日々の気づきを大切にできることが、教育の成果の一つだと思います。