3時間目6年生の図工の時間。1年生がフラッと遊びに来ました。6年生は、自分の絵を描きながら口々に1年生に声をかけます。「こっちゃん、どうじたの?」「こっちゃん、今、何のお勉強なん?」自然な声で、自然な態度で。だれ一人「授業中やろ!帰れ!」等と怒鳴ったり、叱ったりしません。こっちゃんは、6年生の描いている絵を鑑賞しながら、歩いています。静かに時間は流れます。絵を描いている6年生。覗き込んでいる1年生。
普通の学校なら(校長先生のご指導の目が行き届き、子どもを教室に入れられないのは自分の力量のなさだと担任が傷ついている学校ならば)ここで、担任がとんで来て、図工を教えている先生に「ごめんなさい。ごめんなさい」と謝って、こっちゃんの手を引っ張って「何べん言ったら分かるの。お勉強の時間は、教室でちゃんときちんと座るのよ」って言うでしょう。静けさが破られ、6年生の図工の時間は中断し、こっちゃんは抵抗して、あるいは泣いて、ひょっとしたら担任の先生に「くそばばあ」とか「くそじじい」とか言うでしょう。でも、そうはならない。
「こっちゃん、靴下の色やけどな、何色がいい?」って一人の6年生が聞きました。「くろ」ってこっちゃんが答えると「そうかぁ」って言いながら絵に黒を塗りました。私は、そのやり取りが不思議で「絵の中にこっちゃんがいるの?」って6年生に聞きました。
絵を見ると小さい1年生が6年生のノートを覗き込んでいる絵でした。「これがこっちゃん。俺はこっちゃんとペアやから、集会の時こっちゃんに色々説明する役やってん。それで卒業の思い出にこっちゃんと俺の絵を描いてる。俺は、4年生まで、教室でじっと座ってるのが苦手で、こっちゃんみたいに遊んでてん。喧嘩もしたし。でも、6年生では、こっちゃんのファミリーで、色々話したりした。だからな、こっちゃんは、小さい時の俺やねん」
私は「すごい絵やなぁ」って言いました。6年生は「そうかなぁ。附小は居場所を大切にしてくれるから、好き。みんな自然に1年生に優しくできる」と言いながら、こっちゃんの靴下を丁寧に塗っています。
「すごい6年生やなぁ。優しいし、賢いし、行動できる」って私はつぶやきましたが、6年生たちは静かに絵を描くばかり。そんな「普通」の何をことさらと思ったのでしょう。
チャイムが鳴ると、6年生たちは絵の具の片づけをして「こっちゃん、教室に戻ろうか」と声をかけます。「こっちゃん、太郎と手を繋いで帰ったら」「次郎がいいか?おんぶしてくれるかも」
担任は追いかけて来ませんでした。追いかけなくても、附小の先生と子どもたちが、こっちゃんの居場所をつくって、見守り、こっちゃんも育み、自分も育んでいると思っているからなのでしょう。
附小の教師集団の力量の豊かさ。それに支えられて、育っている子どもたちの賢さ。
「こっちゃんがいる絵」「小さかった自分と成長した自分がいる絵」の完成が楽しみです。