「学校が病んでいる」と言われて久しい。子どもたちの自殺や不登校が増えることはあっても少なくなったという話は聞かない。学校は子供たちが自由に集い、戯れ、学ぶ場ではとうになくなってきている。
心ある教職員が子どもたちの自主性を尊重し、少しでも楽しく活発に活動できる場を作ろうとすれば、かたい頭の「道徳」的な有力者や国家主義偏重のメディアから袋叩きにあう。もともと保守的な官僚は自身の保身もあって現場に縛りと懲罰をあたえ、二度と自由な行動をとらせないように監視する。
2000年代初頭、七尾養護学校で起こった性教育弾圧事件は、そのようにして仕組まれ、「事件」となった。今でこそバックラッシュと言われ、これを損害賠償請求と不当処分撤回を理由に提訴した原告の教職員は勝訴したが、当時は多くの人たちを傷つけ、名誉を侵害した。
この「事件」は「ジェンダーフリー」という用語の言葉狩り(学校現場だけではなく、地方自治体の公務員に至るまで)にも波及した。さらには日の丸・君が代強制にも同じ手口が使われたことも見逃してはならない。
奈良教育大学附属小学校での事件は、七尾養護学校での教育弾圧の再来である。自由と強制、自主と管理、教育と「強育」ののせめぎあいと言ってもい。どちらが子どもたちを大切にしているか明らかであろう。