かつて西ドイツの教育法の先生が「子どもに自由を教えるために教師が自由でなければならない」ということをおっしゃったそうです。この当たり前の真理が、今壊されそうとしています。何にも捕らわれない、ひたすらに子ども達のために新しい試みにチャレンジしてきた学校―これは教育学部附属学校の使命です―が些細な(あえてこの言葉を使います)の難癖により、その実践を可能にしてきた学校組織そのものが破壊されようとしています。
子どもが自由であるために、子どもに自由であることを伝えるためには、ますその学校が自由でなければならない。そして、それは学校をとりまく僕らの生きている社会が自由であることを尊重するものでなければなりません。大人として、先行する世代として、どのようなことを子どもに伝えたいか、どのように子どもに成長してほしいのか。一地域の一学校の問題ではなく、私たち大人が、社会が問われているのだと思います。