今から100年前の1924年、長野県の松本女子師範附属小学校の川井清一郎訓導が、修身の授業で(国定)教科書の不使用を理由に休職に追い込まれ、事実上の懲戒免職となった「川井訓導事件」が起こりました。 21世紀も四半世紀にさしかかろうというのに、まさか、大正自由教育の西の中心地でもあった奈良で「令和の自由教育弾圧」が起きようとは、想像もしませんでした。 「奈良教育大学附属小学校における教育課程の実施等の事案に係る報告書」(2024年1月9日付、1月17日ウェブサイト公開)には学習指導要領、教科書使用、管理運営をめぐる「不適切事項」が多々挙げられていますが、その一つひとつの指摘がいかにも恣意的で、「意味不明」あることはすでにこのサイト上でも他の方々が指摘されています(今後教育雑誌上でもこの問題が何度も扱われていくはずです)。 報告書では「指導不足」や「時数不足」などと書かれているのですが、いったい何をもって「指導不足」というのか? 各「不適切」事項に対する「回復措置」をみる限り、結局は(カリキュラムならぬ)“紙キュラム”として学習指導要領と教科書に基づいて、これこれを扱っていないから扱う、と述べているようにしか読めません。この間のコロナ禍にあって、文科省も教育課程の柔軟な運用を求めていたはずです。まだ完全に収束していない状況にありながら、その柔軟性の知恵は、早くも附小では見る影もなく消えてしまったのでしょうか。 そもそも、「教科書で満遍なく扱えば学んだとみなす」という発想は、これまでに幾度も批判されてきた注入主義~一時的で記号的・断片的な知識の記憶~に帰着するだけでしょう。附属学校は、そのような、100年以上も前から批判されてきた定型的授業を打開するという使命のもとに教育実践を蓄積してきたのではなかったのでしょうか。今も各教育大の附属学校の公開授業では、教科書は使用せず、教員が自ら設定・開発した教材を使った授業が主流のはずですが、そのような実践研究につながる日々の蓄積を自ら放棄するのは、附属学校の意義を自ら捨て去ることになると危惧します。 念のために言っておけば、教科書を使用しなかったり、指導年次を変えたりするのは、教科書や指導要領を否定したいのではなく、むしろそれによって教科書や指導要領の趣旨をより生かそうという、現場教師の専門的判断によるものであることは自明でしょう。 そのことを、管理職や大学の調査委員会が理解していないのはまったくもって不可解です。 ◆ 指導の内実を問題にするのであれば、まず何より「子どもが何を学んだか」が検証されるべきです。「カリキュラム」には「指導計画」だけでなく、「学びの経験の履歴」という意味があるのですから。 ですが、肝心の、子どもとその保護者の声・姿は大学側からは出てきていません。また、現校長が教員をフォローするようすが見られないのも気になります。 奈教附小の元校長は、次のように述べています。 「見る人によっては、いささか無秩序な印象を持たれるかもしれません。……付属小学校で目にしたことの中には、なぜだろうと思うこともありました。が、それらはみな、然るべき考えを背景に行われていることに気づかされることばかりでした」 (今正秀「はじめに」、奈良教育大学附属小学校編『みんなのねがいでつくる学校』より)。 教育実践をめぐる認識の深さによって、実践の見え方は変わります。 そもそも、教育課程の編成権は校長にあります。問題があるというのなら、それをめぐって教員集団と対話すれば足りたこと。それができなかったというのなら、それは自身の実践論で対峙できなかった管理職の力量不足を、自ら公言したようなものではないでしょうか。 また、附小のある先生は次のように述べています。 「『よい教育条件』をつくるだけなら独善的な独裁者による上からの押し付けでもできるかもしれません。しかし、真に『よい教育』は、それに携わるみんなが主体性を発揮でき、公教育のみならず、その先にある社会をつくっていく、そのような流れのなかでこそ実現されうるのではないかと思います」(同上書、196頁)。 「みんな」の声を聴く条件を、管理職や大学はどう保障したのでしょう? それらを無視した行政的な形式に固執する状況で、ほんとうに「よい教育」は創造されるのでしょうか? ◆ 100年前、事件に巻き込まれた川井清一郎訓導は、その後の回想で次のように記しています。 「自分はあの事の起った二三日は内から燃ゆる憤怒の情は抑えても抑え得ぬものがあった。学校から家へ帰ると早速ペンを走らせてその非道を社会に向って訴えようとさえ思った。然し又考えて見れば自分にはもっと大切な事があった。怒によって己を忘れた時、それは児童へのつまずきとなる。尤も平和に寛〔ゆる〕やかなるべき教育者が外に心の向った時大事な己の仕事が忘れられるのであった。教育者としては私情や一個の勘定で争いたくはない。……その道の素人なる社会上の問題とする前に、純粋に教育上の研究問題でありたい。こんな様なことが頭を往来して来た。」 「『吾々の問題は徒らなる感情問題であってはならぬ、研究問題として教育上の永遠の問題でありたい』と期したのでありましたが……」 (川井清一郎「経過と感想」『日本の教師 11 生活と生き方の指導』ぎょうせい、1994年。原典は『信濃教育』1925年5月号) 奈教附小の先生方もまた、同じ心境なのかと想像します。 教育実践上の課題を判然としない「法令違反」にすり替えられ、こちらの意図を理解してもらえないという、100年前のある附属学校教員の無念をくり返すような事態に一教育学徒として深い憂慮を示すとともに、附小の先生方と子どもたちのねがいを微力ながら後押ししたいと考え、思うところを書き記しました。 (佐藤高樹・帝京大学)