奈良教育大学附属小学校長 小谷 隆男氏は附属小HPで以下のように述べている。
「奈良教育大学附属小学校は、我々奈良県で教育に携わる者にとって、唯一無二の存在であって、他の公立学校がお手本にする存在であると、公立教員であった私自身はこれまで考えてきました。しかし、校長として4月に赴任し、毛筆指導、道徳、外国語などが不十分であることや、職員会議の決定権が強く校長の権限を制約していることなどに疑問を感じました。その改善に向けて職員会議に提案や指示をすることで本来の姿を取り戻したいと努力しましたが、私自身の力不足によりその改善を図ることは出来ず、今回このようなことになってしまいました。保護者・児童の皆様、関係者の皆様には、心よりお詫びを申し上げます。」
まず『奈良教育大学附属小学校における教育課程の実施等の事案に係る報告書』を読んでみた。「2.教育課程の実施に関し明らかになった不適切事項について」以下のように書かれているので、6頁から9頁に掲載された表 2を読んで驚き、背筋が寒くなった。
「調査の結果、明らかになった不適切事項は、①学習指導要領に示されている内容の
実施(授業時数・履修年次・評価の実施を含む。)、②教科書の使用、③管理運営、の 3
点である。」
(1)学習指導要領に示されている内容の実施(授業時数・履修年次・評価の実施を含
む。)に関する不適切事項
学習指導要領に示されている内容の実施(授業時数・履修年次・評価の実施を含む。)
に関する不適切事項は、以下の表 2 のとおりである。」
私は教育課程、体育科教育を専攻している大学教員なので、まず体育を見たところ、実技「表現運動 (リズム遊び等 )」「高跳び」の指導時間不足、保健「健康な生活」「心の健康」の指導時間不足、「体育大会に向けて行った体育の授業」の「評価不適切」が指摘されていた。実技は教科書がないので「指導不足に係る教科書における目安の時数」について何を根拠にはじき出したのかまず疑問に思った。もしかすると法的な拘束力を持たない『小学校学習指導要領解説 体育編』等を参考にしてはじき出された根拠の弱い数字だと考えた。そして、このような単元レベルのすべての授業実施時間数について資料をつけて提出させられた現場の先生方のご苦労に頭が下がった。
それはさておき、「体育大会に向けて行った体育の授業」の「評価不適切」はどこの公立小学校でも行っていることだと思う。つまり、運動会や体育大会の練習に体育の授業時間をあてるため、その授業で行ったことは授業としては評価できず特別活動である体育大会の参加や実技で評価することにならざるを得ない。そして、「表現運動 (リズム遊び等 )」は、運動会の実技発表の練習として扱う場合が多いので、単元計画に基づいて指導することが少ないのが実態である。さらに、小学校では児童の関心や行事との連携で実技中心の体育科の授業にならざるをえず、教科書のある保健で単元によっては時間数の不足にならざるを得ないのが小学校の実態である。
公立や他附属の小学校で今回の奈良教附属小学校と同様の調査をすれば、体育科についてはおそらく、これと同様の問題、もっと多くの問題が出る学校があるだろうと推測した。
理科を見ると、すべて「年次違い」である。目の前の児童たちの興味・関心や実際の授業の進み具合、他教科との内容の関連(「人の体のつくりと運動」(4 年)は保健と内容が連動している。)があり、教科の指導内容を学年を移して指導するということは小学校ではよく行われている。カリキュラム・マネジメントの観点からしても、教科間で連動する内容を学習指導要領で規定されている学年を動かして指導することは有効であることは多い。むしろ、この理科のように学年移動を組織的に行っている奈良教育大学附属小は、教科間や教科内の指導内容の配列を、子どもの関心と内容の関連からカリキュラム・マネジメントの観点で工夫をしているように読み取れた。
おそらく「時数不足」とされている、国語科の3年生以降の「毛筆による書写」の指導と「『道徳』的な指導が『全校集会』で行われていたが、これは『特別の教科である道徳』としての実施とはいえないため、『特別の教科である道徳』の指導及び時数が不足」という2点を教育課程の大綱的基準である学習指導要領からの逸脱とみるかどうかが問われると考えた。国語科の3年生以降の「毛筆による書写」の指導が30時間不足している点は、他の領域や教材の指導を重視したため不足したのかもしれないが、改善は必要のように思われた。ただし、「特別の教科である道徳」が、事前に設定された道徳的価値を教科書教材を用いて児童に内面化しようとするということは教育学的に見て問題が多く、検定教科書の教材についても不適切なものが多いということは教育学者が指摘している。この立場からすれば、「『道徳』的な指導が『全校集会』で行われていたが、これは『特別の教科である道徳』としての実施とはいえない」という文部科学省、教育委員会の主張を点検するための調査になっていると考えた。
私は学習指導要領は教育課程の大綱的基準であり、それを基準とした検定教科書も同様に、大綱的基準である限り、記述の通り逐一実施すべきものとは考えていない。むしろ、教育課程の編成権を持つ各小学校が学習指導要領を大綱的基準として、その学校に必要な教育課程を構成すべきと考えている。
「表 2を読んで驚き、背筋が寒くなった。」と冒頭に書いたが、奈良教育大学附属小学校の教師のように、各小学校で目の前の子どもたちの実態を踏まえ、熱意と創意工夫をして教育課程を編成している小学校教員に対して、学習指導要領と検定教科書に書かれている内容を逐一守らなければ、このような問題になるぞと脅している文書と感じたからであった。奈良教附属小の先生方には、このような圧力に屈せず子どもたちの成長発達のために、これまで蓄積されてきた教育実践を守り発展させていただくことを願わずにはいられない。