1月20日Yahoo!japanニュース 前屋毅氏(フリージャーナリスト)の記事より抜粋
増えるだけの学習指導要領の全部を教えるのは無理で、軽くしたりなくしたりすることも必要で、それを判断するのは先生や教育委員会だ、と解釈できないだろうか。それは間違いだろうか。
間違いでないとすれば、まさに盛山文科相の言っていることを先駆的に実践していたのが奈良教育大附属小学校ということになる。同校の教員は、子どもたちのことを考えて、教員として努力をしていただけなのかもしれない。それは褒められこそすれ、責められることではないようにもおもえる。
少なくとも、盛山文科相は奈良教育大附属小学校の実践を認めてしかるべきである。なにしろ、自分が考えていることを、すでに実践例として示しているのだから。
にもかかわらず、「遺憾」の一言で切り捨てるのはいかがなものだろうか。「遺憾」と口にしたことのほうが、よほど遺憾である。
盛山文科相は、自分の発言に責任をもつためにも、奈良教育大学附属小学校を簡単に切り捨てるのではなく、むしろ支持を表明すべきなのかもしれない。