元都立高校教員です。奈良教育大付属小学校の問題がマスコミで取り上げられるようになって以来、大きな関心を持ち注視しています。2月29日に宮下俊也奈良教育大学学長名で発せられた「奈良教育大学付属小学校教員の人事交流について」なる文書に接し、強い違和感を感じました。そしてこの流れが付属小学校の教育、ひいてはこの国の教育のあり方に禍根を残す事態に陥る事を危惧して善処を要望するためにこのメールを発信させていただきます。
違和感の第一は「人事交流」という名の下に行われるものが通常の人事交流とは異なり、本人や保護者の意向を顧みない事実上の処分となっているという疑いを拭えないことです。聞くところによれば当該校は奈良県との間で「人事交流」の協定を結んでいるようですが、今回の「交流」がこれとは異質なものとなっていることは明らかと言わざるを得ません。
第二に同大調査委員会報告書にある「不適切な事例」の原因を「人事の固定化」にあると決めつけ、その「改善を機械的に「出向」という形で対処するやり方は言葉は不穏当かもしれませんが「血の入れ替え」を想起させます。教育活動で行われるべき手段とは思えません。
第三は生徒の成長を託された学校現場として決して忘れてはいけない最も重要な視点からの違和感です。どこがどのように不適切であるのか、教育の視点で明らかにされているとは思えません。箇条書きで並べられている事例は、「学習指導要領」との不整合の指摘ですが、附属小に通う生徒の成長を願って当該校で積み重ねてきた教育実践の蓄積が、教育の視点に立ってどう不適切なのかを解明するものとはなっていません。私ども高校教員の立場から言えば、学力の多様化が進む高校では、それぞれの学校の生徒実態に合わせ、それぞれの学校の教職員の英知を集めて教育課程を実施し、各教科の肝が豊かに生徒の中に根付くことを図ります。残念ながら教科書(学習指導要領)の全面実施に至らないケース(範囲が終わらない等)もあり得ます。仮にそのことを以て「不適切」とし、「処分」で是正を図ることがあるとしたら、教育活動は大混乱に陥ることは必至です。
そもそも、年度当初の附属小学校長挨拶では、当該校の子どもたちについて「他では見ることができないくらいに元気で、自分の意見をみんなの前で臆せずに声を上げる子どもがたくさんいます。」と評価し、それを育んできたものとして「短期的に『理想の子ども像』の型にはめようとせず、子どもたち自身の輝きを大事にしながら長期的な視野で子どもを育むという本校教職員が大切にする教育理念がはっきり見えます。」と教職員集団の教育実践と情熱を高く評価しています。また、今回の「人事交流」に関わる学長声明も「本校が築いてきたよさや特色を損ねることなく、児童や保護者の皆様にとってさらに良い教育が実践できることを第一の目的とすること」とあります。とすれば「血の入れ替え」が付属小に根付いてきた教育を大きく損なうことは明らかではないでしょうか。
私たち東京の教育に携わって来た者は一連の動きに接して、20年ほど前に東京の都立七生養護学校で起こった事件を想起せざるを得ません。七生養護学校に通う生徒の実態を見つめ、子どもの心と命が損なわれることのないよう学校ぐるみで培ってきた性教育の実践を「指導要領に沿っておらず不適切だ。」とする都議会議員らが学校に乗り込むなどして批判し、東京都教育委員会もこれを受けて、校長に降格・停職、教員ら31名に厳重注意処分を下した事件です。この問題は裁判でも争われ、二件提起された裁判ではいずれも原告側(校長、元教員・保護者)の勝訴が確定しました。裁判で東京地裁は『教育内容の適否を短期間で判定するのは容易ではなく、いったん制裁的な取り扱いがされれば教員を委縮させて性教育の発展が阻害されかねない。」と判示しました。この判断は宮下俊也奈良教育大学長も、小谷隆男附属小校長も共通ではないでしょうか。とすれば今からでも遅くありません。子ども、保護者、教職員の声に耳を傾け、真に附属小が築いてきたよさや特色を損ねることなく、児童や保護者にとってさらに良い教育が実践されることのためにご尽力いただけるよう切望するものです。「血の入れ替え」によって一度根絶やしにされた土地でのちに芽が生えることはないのですから。