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執筆者の写真まほろば

文芸教育研究協議会が声明を発表(2024.5.1)

4月20日、文芸教育研究協議会(文芸研)全国委員会が、「奈良教育⼤学附属⼩学校への不当な攻撃に抗議する(声明)」を発表しました。


奈良教育⼤学附属⼩学校への不当な攻撃に抗議する(声明)


⽂芸教育研究協議会 全国委員会  2024/04/20


奈良教育⼤学附属⼩学校(以下附属⼩)の教育内容及び教職員に対する不当な攻撃が⾏われていることが、 2024 年 1 ⽉の新聞報道を⽪切りに全国で知られるところとなりました。


 奈良教育⼤学作成の報告書(2024 年 1 ⽉ 9 ⽇)に基づいての報道は、附属⼩が「不適切」「法令違反」 指導を⻑年にわたって継続してきたという、多くの市⺠にとって、ある意味衝撃的なものでした。しかし、 報道された内容は、教科書の不使⽤・教育課程の恣意的な運⽤(「君が代」の指導・「道徳」の指導・書写の 時間の⽑筆の指導等々)、校⻑の学校運営に対する教職員の⾮協⼒的な姿勢など⼀⽅的な解釈と判断である と⾔わざるを得ないものでした。


 その後、この問題について教育研究者有志が緊急声明を出し(2024 年 3 ⽉ 4 ⽇)、教職員・保護者・市 ⺠が抗議集会を開催するなど(2024 年 3 ⽉ 31 ⽇)、声を挙げる動きが全国に広がっています。この問題 は、⺠主的な教育の営みに関わる全ての団体・個⼈にとって他⼈ごとではない重要な問題を私たちに突き付 けているのです。


 その第1は、学校の教育課程とは、⼦どもや地域の実態をふまえ、各学校で⾃主的に編成するものであ るという⼤前提に対する攻撃だということです。附属⼩で⾏われてきた創造的・⺠主的な教育実践の否定に とどまらず、全国の⺠主的な教育を⽀持し、あるいは実践している教職員の教育を萎縮させることにつながります。


  学習指導要領は「教育課程の基準を⼤綱的に定めるもの」であり、「各学校がその特⾊を⽣かして創意⼯夫 を重ね,⻑年にわたり積み重ねられてきた教育実践や学術研究の蓄積を⽣かしながら,児童や地域の現状や 課題を捉え,家庭や地域社会と協⼒して,学習指導要領を踏まえた教育活動の更なる充実を図っていくこと」 が重要であるとされています(学習指導要領「前⽂」)。教科書・教師⽤指導書への依存の度合いは、デジタ ル化の推進とも相まって、⾼まっている現実があります。しかし、その中であっても⼦どもたちにとって豊 かな内容、⺠主的な⼈格の形成に寄与する教育をと全国で取り組んでいる多くの仲間たちにとって、この問 題は看過できません。


 第2は、今の学校・⼦どもたちに求められている学びとは何かといった観点を抜きにして附属⼩の教育実 践が、⼀⽅的に「不適切」「法令違反」と断じられたことです。 附属⼩では、「みんなのねがいでつくる学校」を旗印に⽬の前の⼦どもたちの実態を踏まえ創意⼯夫された 教育課程を編成し、その内容は⾼く評価されてきました。その実践は、公開研究会等で全国に公開し、不断 の検討を重ねてきたことは、教職員はもとより、保護者・卒業⽣・研究者の中で共有されてきました。閉鎖 空間での恣意的な教育を⾏ってきたのではありません。今回は、教科書を使っていない、学習指導要領に⽰ された配当学年での指導ではない、道徳の授業がなされていない等々、教育内容を問わない⼀⽅的な批判に よってその教育実践が否定されました。このことは、「教科書を教える」ことが⽬的化し、それさえあれば問 題はないとする⾵潮への追い⾵となり、同時に⺠主的で創造的な教育の営みへの逆⾵となるのです。


  第3は、⼀⽅的な出向⼈事が⼈事権の濫⽤というべき強引な措置であるということです。このような不当 な⽀配の介⼊を許すことは、全国の教育現場が萎縮するという結果を⽣み出しかねません。


 教育は教師が同僚性を根底に、他者と協⼒をしてこそ成り⽴つ⾏為であるはずです。その同僚性を切り崩 すことは、教員の共同作業としての教育を否定することに他なりません。また、⼀⽅的に出向を命じて幕引 きを図ることは、ここに⾄るまでのさまざまな報道とあわせて、多くの児童・保護者の学校への信頼が揺ら ぐことにつながっていくのではないかと危惧されます。何よりも優先されるべきは⼦どもたちへの教育であ り、強制的な⼤量出向⼈事は本末転倒と⾔わざるを得ません。


 以上の 3 つの観点を踏まえ、私たちは、奈良教育⼤学附属⼩学校の⺠主的・創造的な教育を⽀持し、その 教育に対する不当な介⼊に抗議します。同時に⺠主的・創造的な教育に関わる全ての⽅々に向けて、共に声 を挙げ、附属⼩を応援することをよびかけます。

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